西部劇として見るべきではない

アメリカは映画大国という印象を持っている人が多いでしょう、筆者もその1人で映像を作る技術と作品を構築するシナリオ、そしてそれらを盛り上げる演出は日本と比べると一線を画している。日本もそれに追いつこうとしているのかもしれませんが、ここのところのメディア作品がお届けする傾向については正直なんとも言えないものです。あまり大声を張り上げるものではないが、日本のメディアはいつか崩壊の一途を辿ることになってしまうのではないか、などと考えられなくもない。何より、テレビドラマにしても映画にしても過激な映像作品を作るという理想が喪失してしまっているからだ。公開される映画にしても何にしても、どうしてこれを原作として作品にしようと思ったのかと、呆れる映画は何本と無く作られています。ここ数年、本当の意味で日本映画が世界にまでその名を轟かせるといった話題を耳にするのは、正直あまりない。かつてはそれなりに話題にも上がった作品もあることにはあったかもしれない、ですが日本ですら全く知名度を有していない迷作はそこかしこで埋もれては忘れ去られていく。残念過ぎる業界の中で映画業界で活動している人たちは、日本の惨状を憂いているだろう、などと傍観者としての視線を向けるしか出来ない。

かといってアメリカで公開された映画が日本でも必ずヒットする、というわけではない。中にはどうしてこんなのが強きに海を越えて日本で公開されたのだろう、という疑問を持つ作品もあるのでそういう点を考えると映画という業界も摩訶不思議な世界なのかもしれない。今回はそんな映画で、昨年2014年に公開されたとある映画についてレビューしてみる。

その作品とは『荒野はつらいよ ~アリゾナより愛をこめて~』、これは昨年公開された『西部コメディ映画』となっており、世界的な興行収入という観点で言えばヒットした部類に含まれています。日本で話題になったとは言いがたいですが、それでも作品を知っている人はそれなりにいるのではないだろうか。

ではまず最初に、この作品のあらすじから紹介していこう。

映画概要

あらすじ

時は1882年、西部開拓時代のアリゾナはかつてないほどの無法地帯と化していた。度重なる硝煙と鉄の匂い、野生化した獰猛な動物たちが跋扈する大地を生きる民衆も、各々が生きるのに必死でありながら他人をモノとして扱うようなモラルの低さが問題となっていた。そこで生きることは困難で、そして誰もが恐れを抱きながら今日という日々を過ごす。そんなアリゾナの片田舎にとある若者が住んでいた。『アルバート』、そう呼ばれる青年はとても勇敢で正義感の溢れる好青年……、という理想とはかけ離れた存在である。

田舎の青年らしく平々凡々と、地味に羊飼いとして生きている彼には銃撃戦の中を生き抜くための射撃能力も卓越した身体能力といった自然を生き抜くための力を有していない。そんな彼がとある街で出会った女性に一目惚れする。元々街に蔓延る住民やガンマン達に嫌悪感しか抱いておらず、また自身に戦う能力がないことを重々理解していたこともあり、決闘を挑まれて何かと理由をつけて逃げ続けていた。しかしそんなアルバートの姿を見て当時ガールフレンドだったルイーズにもフラレてしまい、失意のどん底にいた。

そんな彼が出会ったのは女性ながらガンマンとして超一流の腕を持つ『アンナ』とひょんなことから急接近する。そしてその時が当たり前のようだとばかりに2人は恋に落ち、そして『キス』をした。だがこれは始まりのキスであり、同時に終わりを意味する死神から受けた刻印としての意味合いにもなる。

その後街にはアリゾナ西部を轟かす極悪ガンマンである『クリンチ』が襲来する。突然の大物が現れたことに多くの人々・ガンマンが戸惑いを隠せない中で彼は告げた。

『自分がいない間に妻とキスした男を探し出し殺害する』

妻、それは他でもないアンナその人だった。アルバートはそんなアンナを誑かした間男、クリンチ視点ではそういうことになる。まさかの展開にどうすることも出来ないアルバート、射撃にしてもゼロ距離ですら弾丸が当たらないくらいにセンスが皆無であり、クリンチと真正面からやりあえるような度胸もない。

そんな彼が出した結論は、アンナをに逃した後に自分も逃げるという算段だった。刻一刻と近づくクリンチという大鎌を持った死の使いが押し寄せる中で、アルバートは果たして無事に逃げ切ることは出来るのか。

主人公について

最初から最後まで通して言わせてもらうと、この映画は基本的に何かを期待してみるといったものではないことは最初に言っておこう。何せ主人公は絵にも描いたような腑抜けな男として表現されており、主人公という立ち位置でのヘタレっぷりには笑いというよりは、同情を誘わせるような作品となっている。アメリカで製作されている映画を見ていると、ファンタジーチックなまでに主人公然としている人はとことん、何もかもが万能スキルを有した完璧超人として描かれている。一度すれば大抵のことはすぐに達人レベルにまで成長し、得意なことであれば敗北という二文字と無縁というくらいに破格の強さを有しているものだ。逆にヘタレともなると、とことん実際にこんな人いそうだなぁと思わせるくらいのダメ人間っぷりが妙なリアル感を出しています。

この作品では主人公のどことなく精神的な成長こそ見られますが、それでも後者のダメ人間さ加減が半端なく押し出されている。アルバートにしてもそう、地味でありながらも平凡に暮らしたいというのは、意外と誰もが思っていること。そりゃあ無闇矢鱈と血みどろの戦場に足を運ぶもの好きなどいるわけもない。時代のことを考えると平和を望んでいた大多数の1人でありながらも、何も出来ない群集の一部分でしかない彼に、何が出来るわけでもなかった。

言ってしまうと、明らかに怪しいヒロインに恋をして夫がいるにも関わらず寝取ろうとしたのだから、クリンチが怒るのも無理はない。自業自得、そんな言葉がよく似合う主人公というのもシュールなものだ。

ヒロインの無敵性

そしてこの作品にはアメリカ映画に限ったものではないが、最近の作品でよく見られる『ヒロインが主人公よりも強くて逞しい』件についても触れてみたい。この作品のヒロインであるアンナはクリンチの妻でありながら、射撃能力は夫の右腕と言ってもいいほどの実力を有している。アルバートの射撃能力とは天と地ほどの差がありながらも、どんな化学変化が起きればそうなるのか恋をしてしまう。しかもアンナもまんざらではないのだから、なおのこと質が悪い。

こうしたヒロインの無敵過ぎる設定もまたここ最近良く見られる傾向だ、筆者が思いつく限りでは映画『Taxiシリーズ』のヒロイン『ペトラ』さんを思い出す。この人もまたシリーズを通して破天荒と言われるくらいに、完璧超人となっているので注目どころでもある。

だがアンナの火遊びによってアルバートは九死に一生を得るほどの恐怖を味わわされることになってしまいます。クリンチにすればアンナの浮気相手、愛する女性を取ろうとした不届き者、八つ裂きにしても足りないくらいの怒りを抱えて襲いかかろうとしている。もはやカオスですが、こうした中でもアンナは比較的冷静にいるので勇ましいにも程がある。

平たく言ってしまうと

とりあえず興味がある人は一度見てみるのもありだということです。ただ純粋な好奇心としてみる分に構いませんが、真面目な視点で見ているとアルバートのダメさ加減へ妙な共感を抱いてしまうかもしれないので、ご注意下さい。

ちなみに、この作品で主演を務めている『セス・マクファーレン』はあの中年ぬいぐるみが活躍する『Ted』の監督であり、テッドを演じていることでも有名です。そうした事も含めてみると、この作品にかける笑いはそれなりなので、コメディ映画という視点で作品を楽しんでみよう。