クレヨンしんちゃんで西部劇

クレヨンしんちゃんで西部劇、といえば一番最初に誰もが思いつく限りでは『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ』を思い浮かべる人も多いでしょう。ですがそれ以前から原作コミックスでは西部劇を題材にしたパロディ漫画が何度と無く掲載されていたことを、どれくらいの人が知っているでしょうか。こう言っては何だが、初代からクレヨンしんちゃんを知っている身としては、最近の作品傾向は実に国民的アニメと称されるほどになっている。実際、何かと話題にもなっては世界的にも有名な日本アニメの代表例となっている。それがまさか初期は主役のしんのすけがとてつもなく下品な子供であり、全くといって可愛くなかった頃の作品が実は一番面白かった、なんて邂逅してしまう。

そんな作品で西部劇を題材にした話は何度と無く番外編で紹介されています。原作者でもある『故臼井儀人先生』が余程西部劇を愛好していたのかどうかは分からないが、筆者が知っている限りでもそれなりに存在している。

映画以外のクレヨンしんちゃんの西部劇

最初に言っておくと、相変わらずの破天荒ぶりが展開されている。今でも十分すぎるくらいに破天荒ではありますが、劇中においてしんのすけの活躍はやっぱり笑いの種となっている。ガンマンとして活躍するのは大黒柱でもあるひろしだが、射撃としての実力は決して褒められたものではないのだが、ある時にだけは天才的な射撃センスを発揮することが出来る。それはしんのすけに耳を『甘噛み』された瞬間だ。多分だが、全身の緊張と力が抜けきったことで、射撃能力が飛躍的とばかりに向上し、敵の銃を弾き返したり、缶ジュースを穿ったり、果てはカツラを取っ払ったりといった具合にやらかしている。本来ならあり得ないことなんですが。

妻のみさえさんも登場します。ですが基本的におしとやかな印象のあるみさえさんですが、事なかれ主義で自分のことを第一に考えている守銭奴じみたところもある。ひろしの実力(?)を勘違いしてガンマンとして依頼された際にも、身を案じながらも最中に自身が大事にしているドレスにGが跋扈しているとしんのすけが言った瞬間に逆上して本性が現れるという、相変わらずな様子を繰り広げている。まぁなんというか、世界が変わっても野原家は通常運転というわけだ。

みさえが犯人逮捕に躍起する場合も

西部劇の世界で描かれる野原家はまだあります、他には病弱なひろしを助けるために多額の医療費が必要なのだが、稼ぐにも宛のないみさえは賞金首へと手を伸ばす。その発想から奇想天外すぎるのだが、それでも夫を思ってのことだった。ただ本心では自身が欲しい物を手に入れたいがために極悪犯罪者を捕まえようとするのだから、ある意味ハンターでしょう。

みさえに同行する形でしんのすけも活躍するが、大半は彼の招いたトラブルで事態が悪化しては問題がこじれてしまい、さらにややこしいことになってしまう。最終的にしんのすけの手柄で事件は解決するのだが、そもそも野原家が出てこなければ穏便に解決したのではないかと読む度に考えていたものだ。

映画はかなりシュール

原作で描かれているクレヨンしんちゃん版西部劇も面白いですが、劇場版クレヨンしんちゃんの西部劇は全体的にシリアス傾向となっている。初めて見た時は過去にないくらいシリアスな物となっているが、所々で作品の本質が現れているので程よく緩急付いた良作となっている。

最後にヒロインとの約束が叶わなかったことを憂いるしんのすけがとても印象的な場面となっている。この頃から無駄に涙を誘う演出が加えられているので、何だかとても憎い。

忘れてはならないこと

クレヨンしんちゃんで描かれている西部劇、これは当然ながら本筋となる西部劇とは一線を画したパロディ作品であることは理解しておかないといけない。こう言っては何だが、このパロディはとてつもなく西部劇、この作品が抱えている問題を婉曲させているため垣間見ることが出来ない。この作品が西部劇をパロディに出来たのはコメディだからこそ出来ることであり、現在では西部劇をかつて製作されていたような雰囲気の物を作ろうとしたら、大問題となる。

娯楽大衆を作っているだけではないか、そう感じる人もいるでしょう。ですが西部劇の作品に見え隠れする問題は、アメリカをいまだ悩ませて、苦しませている人種という壁が大きく立ちはだかっていた。