西部劇の世界観

西部劇という作品は日本人にしてもそうですが、大衆映画としての気質は非常に強いジャンルといえるでしょう。先にも話したが、日本でいうところの昭和40年代を中心として話題を集め、当時の人達を楽しませるための手段としては最大級のエンターテインメント作品だったことは疑いようのない事実となっています。時にシリアス、時にシュールで、時にバイオレンスでありながらも最後は正義が勝つといった、絵に描いたような勧善懲悪が描かれている。好きな人は好きだという、けれどその作品を真っ向から見てしまうと歪なほど世界観のズレを感じることも無きにしもあらずだ。

映画なのだからそんなふうに作品を分析するべきではない、そういう人もいるかもしれませんがそうも行かないだろう。むしろ個人的にはそうした矛盾を敢えてつくことによって、きちんとした考え方を持てるだろうと考えているからだ。今回はコメディとして描かれている西部劇ですが、基本的には大半の作品はシュール過ぎるくらいに殺伐とした作品が多く存在している。それこそ一昔前の映画だからこそ出来たグロテスクな表現や、映像化したら何かしらの問題を呼び起こすかもしれない過激な演出も取り入れているのが見ものだったりもします。そういうものを求めて見る人は今でもいますが、それでも見るに耐えないのは言うまでもありません。

ではここで少しそんな西部劇について色々と読み説いてみよう。

西部劇で行われる銃撃戦

まず最初に突いてみたいのが、1対1で行われる銃撃戦について話をしてみよう。西部劇はそこまで好んでみるほどのことではなく、教養の一環として見ていたのだがその時常々思っていたものだ。

『どうしてこの時に背後から射撃する選択肢がないんだろう?』

などとろくでもないことを考えていたものだ。映画に登場するガンマンたちは極悪非道という評判を持ちながらも、決闘となったらそんなに律儀すぎるくらいに個人戦を重んじるのだろうとよく理解に苦しんだものだ。こう考えるほうが間違いだと罵られるかもしれない、ですが実際の戦場においてそんな仁義は存在しないことは誰もが知っているだろう。殺し殺され、生きるか死ぬか、そんな選択肢しか存在しない場で、どうして命の駆け引きを決闘という具象化された舞台で演出しているのか、その点は大きくなればなるほど非常に歪に感じられた。

作中に登場するガンマンの中には、ガンマンだからこその礼儀と流儀、プライドを持って活躍しているのかもしれない。大して作中に登場する悪役の中には、そんな流儀など知ったことではないとばかりに多勢に無勢といった、数の暴力で人々を苦しめようとする。ひとしきり暴れた後には主人公が悪役を倒してハッピーエンドとなる、大衆映画としては定番な展開と言えますがリアルではまずあり得ない終わり方だろう。

それといくつか疑問に感じるのは、いくら銃についても疑問に残る

単銃と機関銃

西部劇といえば、リボルバー式の銃を連想する人が多いと思う。別の意味で言わせると、某泥棒一味の凄腕ガンマンが使用しているのもリボルバーだ。今の時代だと逆に使いづらくて利便性に敵わないといった具合に揶揄されるくらいでしょう、歴史あるものですが現代では戦闘においては非常に使い勝手の悪い物と言えます。

ただ西部劇の時代においては時代を飾る現役でもありました、それを自在に操って的に命中させられる、物凄い射撃能力だといつも思う。そもそも銃の命中精度として、単銃は基本的に一撃必殺でなければならない。というよりもリボルバーなどの銃はゼロ距離やどんなに離れていても5m以内でないときちんと当てられるものではない。それだけ難しいのです。10mも離れたところから華麗に的を居抜き、全弾命中といった業は達人レベルとなっている。あれだけ華麗に決められるの○太くんも、二次元だからこその話であって実際出来る人などそうそういるものでもないでしょう。

だからこそ開発されたのが、多数の銃弾を一斉射撃出来る機関銃の存在が戦局を塗り替えるのだ。当たるかどうかも分からない銃を使うより、1秒に何発と無く乱射する機関銃の存在は全ての戦いで常識を塗り替える物となりました。西部劇の時代においてはまだまだ実用段階にまで至るには課題を多く抱えていた背景もありますが、それでも存在していたので持っているだけで勢力図を塗り替えてしまいます。

見ていると常に思う、振り返った先で銃を向けたガンマンが見たのは、先ほどは持っていなかったアサルトライフルを構えた敵がそこに立っていたらどんなことになるんだろうと、作品そのものをぶち壊しかねない想像を良くしていたものだ。

面白いところは他にもある

銃にしてもそうだが、それ以外にも西部劇という作品を見ていると度々思う疑問点を感じることがある。もはやツッコミどころ満載と言ってもいいかもしれないが、これらが数十年前には映画ジャンルで何をしてもヒットする作品だったと思えば少なくとも敬意を払うことは忘れてはならないでしょう。侮蔑しているわけではないが、単純に個人的考察による疑問点からどうしても気になっている点を考えていきたい。