人殺しが美化された世界

あとこれだけははっきりと言っておきたいが、ガンマンとして活躍した人は所詮は『殺人者』であることを忘れてはならない点だ。たまに美化されてもてはやされ、まるで英雄のように語られているのを見かけると、それもまた疑問に残るところでもあります。映画の中でも悪党を倒して主人公が正義を持って平和をもたらしていますが、人を殺している点を忘れてはいけません。そこに何かしらの覚悟があり、殺さなければならない理由がある、そういったような背景事情が存在しているのかもしれない。ですが現実に人を殺すというのが何を意味しているのか理解していない人が多すぎる、最近は沿う感じられる。

西部劇という映画・ドラマがもたらした功罪の1つといえるでしょう、彼らが劇中で犯した犯罪を誰かが咎めることはなくむしろ褒められたものだとする光景は、禍々しい。悪は消えたのかもしれないが、現実に人殺しがそこにいる事実をどうして受け入れられるのだろう、そんなことをどうしても考えてしまう限りだ。

そんな西部劇にて活躍する、または実際に存在していたとも言われるガンマン達も存在しているが、その中でも今回注目したいのが『異名』についてです。

誰が名づけた

西部劇にて活躍するガンマンたちには決まって異名が存在している。それを聴いてとても格好良いと表現する人もいるかもしれないが、それはあくまで漫画やアニメだからこそ許されるものでしょう。当時、もしかしたらそのように呼ばれていたのかもしれないが、それにしては随分と凝り過ぎていないかと言わんばかりの異名を見かけるときは流石にどうかと思うことがある。そもそも誰がこの異名を名づけたのだろうと、そんなことも考えてしまう。何時の時代にも厨二病といったような思考が創造的な人は何処にでもいるものですね。

そんな西部劇の世界において有名な異名を持つガンマンといえば誰か、何人か取り上げてみよう。

ビリー・ザ・キッドと呼ばれた青年

まず最初に出しておかなければならないのが、西部劇においてこの人無くして語らべからずといわんばかりの超有名過ぎる『ウィリアム・H・ボニー』についてだ。彼は実際に存在していた人間だと言われており、アメリカ西部開拓史において有名なアウトローとしてもその名が知られています。色々な伝説が存在するボニーですが、代表的なものといえば、

  • 伝説的と言わんばかりの早撃ちが出来る左利きのガンマン
  • 生涯21人を殺した男

こんな風なところでしょう。そして彼の所業は本当にあったこととして、研究されていく中でもそれは実証されているという。凄いことだ、凄いことですが21人を殺したアウトローと言われても正直ピンと来ない。

西部劇において彼は確かに著名かもしれない、ですが彼の場合は殺人をしたという意味ではあまりに少なすぎるだろうと感じなくもない。事実は小説よりも奇なりといったように、有史を見ていけばたかが21人、されど21人という数字だ。それこそかつて民衆を自身の悦楽のためだけに陵辱・虐殺した血の伯爵夫人・青ひげといったような人物に比べれば、ビリー・ザ・キッドという名は掠れてしまうでしょう。

そういう意味では彼の行った殺人は許されるものではないが、数多ある犯罪者の事例を考えると可愛く思えてしまうのだから面白い。

創作された、女性ガンマン

ビリー・ザ・キッドのボニーは実在していたと研究でも明らかにされつつありますが、そうした歴史がどこまで真実なのかは誰が分かるわけでもありません。ただひとつ言えるのは、何かしら誇張や想像といった面があるのは否定出来ないところだ。西部劇の中で有名な異名を持つガンマンの中には、まず実在していない、または真実をねじ曲げられたようなガンマンも存在している、その代表的な例が『平原の女王』とまで言われた『マーサ・ジェーン・カナリー』の存在です。

西部劇の中で彼女ほど有名な女性ガンマンはいないと言われていますが、現在ではその自叙伝の中身は大半が創作と捏造ではないかとして疑問視されている経緯もある。なんとも言えないところですが、この時代で女性が取って戦うというのがあったかどうかを考えると分かるかもしれません。生きるためには何だってすると思えば割り切れる人もいるかもしれないが、まだ女性という存在が矮小に見なされていた時代で勇猛果敢に戦う女性、というのはあまりに出来過ぎている。

救国の聖女のようなケースもあるかも知れないが、無法地帯だった西部地方でそんな女性がいたとはさすがに考えられない。

二つ名が意味するもの

こうした二つ名をカッコイイと感じるかも知れないが、やっているのはただ人を殺しているだけだと考えてもらいたい。ビリー・ザ・キッドにしろ、平原の女王にしろ、その最期は悲壮なものだったと言われている。人殺しは所詮人殺しでしか無く、それ以上でもそれ以下でもない。本来ならそれは恥ずべき行為でしかないのに、まるで芸術の至高作品と言わんばかりに持ち上げられているのだから、滑稽極まりない。

ここまでとなると、西部劇というのがただのコメディにしか見えなくなりそうだ。